サカリ

この子たちの里親となった時から、
いつかは来ると思っていた事が起きました。

ここから先は、少し重い話になるかも知れません。

2日ほど前から、夢ちゃんにサカリの兆候が現れました。
愛ちゃんと比べて発育の遅い夢ちゃんですが、
意外にも愛ちゃんよりも先に始まりました。

ベッドの布団を引きずり落として、ソワソワする夢ちゃん
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落ち着きなく部屋の中を徘徊しています
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愛ちゃんは夢ちゃんを見て戸惑っています
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生後7ヶ月半。
サイベリアンは早い子は半年で来ると聞いていますが、
来るべきものが来たという感じです。

落ち着き無く歩き回り、
普段と違う声で「アゥォー」と鳴き出したり、
トイレの外でオシッコをしたり。

まだ兆候としては軽い感じで、初期の段階なんでしょう。
でも普段と違う夢ちゃんに、姉妹の愛ちゃんも驚き気味です。
そして愛ちゃんにもいずれ、サカリは訪れます。


雌猫を飼う以上、絶対に考えなければいけない事。

手術をすべきかどうか。

これについては雌猫の生涯を看取った人の多くは、
一度は後悔した事があるのではないかと思う事があります。
それは、

「1回だけでも子供を産ませてあげたかった」

という事。
猫によっては本当にサカリがきつい子もいて、
その苦しさから解放してあげたい、
そう思って手術をする場合も少なくありません。
かつての我が家もそうでした。

でも手術をした後、愛猫が年月とともに老いてくるに従って、
愛猫の子孫を見られない事に、後悔の念が沸いてくるのが
正直な気持ちです。

そして愛猫が老いて死んだ時、
その後悔が再び自分を襲う事になります。

ただ、その後悔の本質は、飼い主のエゴだと思います。
愛猫の意志を考えず、子供を産ませたいと思うのは、人間の勝手、エゴです。

でも無理矢理、愛猫の生殖機能を奪い取ってしまうのも、
人間のエゴです。

どちらを選択してもエゴです。

そしてそこまで考えるのなら、
室内に猫を閉じ込めて飼う事もエゴとなります。
逆に外飼いも、近所で迷惑を被る人から見たら、飼い主のエゴです。

そもそも根源を辿れば、猫を飼う事自体が人間のエゴともいえます。
でも、自分で責任を取れるエゴであれば、
エゴでも許して欲しいと思ってしまうから、人は猫を飼うのでしょう。


閑話休題。

学生時代に飼っていた外飼いのミーちゃんが子供を産んだ時の事。
自身は家庭のない寂しい子供時代を過ごしていた事もあって、
とても暖かく、幸せな気分に浸れました。

首も座らず、ネズミよりも小さな子猫が、
1日1日と大きくなって、目が開き、耳も立って、
そしてやんちゃに室内を走り回るようになる。
あどけない瞳で自分を見つめ、膝の上でスヤスヤと寝てしまう。
夜中に目が覚めると、子猫たちが自分にぴったりと寄り添って寝ていて、
不用意に寝返りも打てない。

ほんの数ヶ月間しかない幸せな時間。
でも、妻にもそんな思いを知って欲しいと思うのは、
これは完全に私のエゴ。

よしんば今の娘たちにオムコさんが出来たとしても、
一度に5~6匹も生まれたら、そして娘両方だったら×2で10匹以上。
世話だけで大変。

猫好きな親戚連中が欲しがるのはわかっていますが、
もしも残った子がいっぱい居たら、
その子たちの一生の面倒を見る事になります。

でも、サイベリアンの男子が道ばたに転がってるわけはなく、
サイベリアンのお婿さんを探すのは困難なので、妄想終了。

妻に冗談まじりに

「ノルウェイジャンて親戚だよね?
 だったらノルウェイジャンを掛け合わせて
 サイベリジャンってどうよ?」

と言ったら、

「バーカ」

と返されました....。

Photo_5

はい、その通りですね。
今回は親バカの戯れ言です。

自然の流れに任せて、もしこの子たちが苦しそうなら、
その時にまた考えます。

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