旧盆も終わった我が家。
今年も先祖や親族、そして家族であった動物たちを迎えました。
我が家にはかつて、猫を中心にいろんな動物たちが過ごし、
かけがえの無い思い出を残していってくれました。
その動物たちが残してくれた思い、そしてその間、私が見聞きした出来事などを、
ちょっとご紹介したいな、なんて思います。
猫は里親が大好き!
そういうお話です。
まずは、我が家の先代猫、モカの兄弟だったマメについて、お話しします。
マメとモカの兄妹と初めて出会ったのは、1998年の5月のGWの事でした。
神奈川の某湖畔の貸しボート屋さんの敷地に捨てられていて、
貸しボートの客だった私は、敷地の菜の花畑でモンシロチョウを追いかける、
若猫だったモカに心を射貫かれました。
推定、生後半年くらいの雌猫のモカは、私に抱っこされると、
ふにゃぁ、と体の力を抜いて身を任せます。
抱っこ大好きな子でした。
可愛いなぁ、と思って頭を撫でていると、突然体に力が入って腕から降りようとします。
足下に、兄弟のマメがいて、私を睨み付けています。
「妹に何をするんだ!」
と言いたげで、それに呼応して暴れるモカを下ろすと、2匹は遠くに走って行きました。
「1匹だけでも貰ってくれる人が居たらいいんだけどねぇ」
心ない旧飼い主に、無理矢理押しつけられた貸しボート屋さんの女将さんが、
そんな事をつぶやきます。
その当時、婚約したばかりだった私は、妻に相談する前に、半ば決めました。
雌猫の方を貰い受けたいと告げ、その2日後に引き取る事にしました。
籠を持参し、マメが昼寝している隙にモカを籠に入れ、
素早く帰宅する事にしました。
兄妹を引き裂く、可哀想な事をしてしまいましたが、
まだ私も結婚前で、婚約していた妻はまだ猫飼い経験の無い人だったので、
2匹は無理だと思っていました。
そしてモカの一生の面倒を見る、そういう思いで事後承諾で妻に報告。
慌てて妻は週末、モカがどういう子かを見にやってきましたっけ。
さて、湖畔からモカが居なくなり、マメは一週間くらいずっと、
妹のモカを探していたようです。
しかしその後立ち直り、元気に男の子らしく、
湖畔で魚や鳥を捕って過ごすようになりました。
モカを貰い受けた3カ月後、マメの様子を見に行ったら、
湖畔のマメは、スズメの死骸の前で満足そうに眠っていました。
「初めて捕まえた鳥だ」
マメを可愛がっていたボート屋の親父さんが、そう教えてくれました。
家の中で閉じ込めて飼うより、この子は自然の中で伸び伸びと暮らして、
こちらの方が幸せなんだ、そう思いました。
しかし、それから間もなく、マメが行方不明になった事を聞きます。
静岡の清水から来た釣り客のクルマに乗り込み、そのまま乗っていってしまったらしい。
お客さんの連絡先がはっきりせず、結局マメはそのまま行方不明。
途中で驚いて車外へ逃げる可能性も高かったので、
ボート屋さんは家族総出で、途中の道路を延々と探したそうですが、見つからない。
数ヶ月経っても見つからず、ボート屋さんも諦めていたそうです。
私もその頃、その話を聞いて、既に嫁となっていた妻に伝えました。
その頃は妻もモカを溺愛していたので、夫婦で心配になりつつも、
望みが高くない事も了解していたと思います。
しかし。
その半年後、マメはボート屋さんのある湖畔に戻ってきました。
体はボロボロ、片方の耳は端が千切れ、片目は失明。
ヨタヨタとしながら、可愛がっていた親父さんの足下へ、真っ直ぐ戻ってきました。
静岡から推定で100km以上の道のりを、半年以上掛けて。
帰りたい、会いたい。その思いだったのでしょう。
道中、他の猫からいじめられ、片目を失いながらも、帰ってきたのです。
親父さんは大喜び、女将さんも息子さんも、その後マメを大切に可愛がりました。
写真は晩年のマメの写真。2007年の5月撮影。
片目なので、後ろ姿でご容赦ください。
ボート屋の客の友人から、そろそろマメの寿命が近い事を聞かされて、
妻を湖畔に連れて行き、マメに引き合わせました。
モカが大柄な子に育ったのに比べ、マメは若い頃の苦難で成長が止まってしまい、
若猫だった頃の体格のままでした。
マメは翌2008年、腎臓の病気で虹の橋へ。
妹である我が家のモカは2009年、肺の病気でマメの下へ旅立ちました。
この兄妹は、本当に人間の事が大好きで、そして綺麗な心の持ち主でした。
かつて、この子達を湖畔に捨てた元の飼い主の行いが信じられず、
しかしその反面、この子達と出会えた運命には、感謝したいと思っています。
98年の5月、私があのボート屋さんに行かなければ、
モカやマメに出会う事もなく、
私達もこれほどの猫バカ夫婦にはならなかったかも知れません。